戦後の日本統治の仕組みとバブル化
戦後の日本はGHQが占拠していたことが歴史の一つとなっている。
だが、GHQには2つの対立した組織が存在していたことはあまり知られていない。
コートニー・ホイットニーを中心とするリベラル派のGHQ民生局。
そしてチャールズ・A・ウィロビー率いる参謀第2部がGHQの派閥として存在し、日本に多大な影響力を残している。
GHQ民生局は財閥解体、労働組合の組織化など社会主義的な制度を策定し、現在の憲法作成にも携わっている。左翼的な思考体系はこの時の名残として今も影響力を残している。事実、GHQ民生局は左派勢力を優遇し、それまでの政治家や財界人を追放していった。
一方の参謀第2部はマルクス主義やレーニン主義、共産主義を否定する反共思想の集まりでGHQ民生局とは根っこから考え方が違う組織である。主に、治安維持と諜報(スパイ)を担当していた。
今でこそ、日本の政党は戦後自民党が長く影響力を残してきたが日本国憲法下の初の政党はなんと社会党(現社民党)である。
今では信じられないが、戦後GHQ民生局の影響力はそれほどまでに強かったのである。リベラル派が矢面に立ったのは冒頭紹介した左派勢力を優遇し、それまでの政治家や財界人を追放した結果生まれた賜物である。
社会党の片山内閣、次に続く民主党の芦田内閣はGHQ民生局の意向で作られた組織であり、このようなGHQ民生局の間接統治の結果生まれたのが、憲法9条や日教組、労働組合などである。
一括りにこれら政策をGHQが行ったというのはある種、誤解である。
この後GHQ民生局と対立していた参謀第2部が反旗を翻す。
芦田内閣が誕生し、GHQ民生局の影響力が強く根付いた共産主義的思考の日本国内において、反共産主義的思考の集まりである参謀第2部は居心地が非常に悪かった。
そこで、彼らは自らのスパイ組織を使ってGHQと民生局の悪事を突き止めることに成功した。
いわゆる昭和電工事件と知られる贈収賄事件で、GHQ民生局の息がかかった政治家、官僚の逮捕に踏み切ったのだ。
治安維持を司る参謀第2部は捜査の手をGHQ民生局にまで伸ばし、ホイットニーの部下であるチャールズ・ケーディスの逮捕に踏み切ろうとした。日本の警察の背後から参謀第2部はチャールズ・ケーディス逮捕を執拗に迫ったが、チャールズ・ケーディスは捜査から日本の警察を外して事件を収束させることに成功した。この時、参謀第2部のもとで暗躍した組織が現在の東京地検特捜部である。
(※反米政治家が何かとお世話になるのが、この東京地検である。経世会がことごとく潰された)
この事件を契機に、日本のGHQ管理はGHQ民生局から参謀第2部に移ることになる。
そして、芦田内閣は総辞職し、新たな内閣として第2次吉田内閣が発足する。
参謀第2部を率いるチャールズウィロビーと吉田茂はツーツ―の関係であり、日本を運営していくうえでこの上なく都合が良かったのだろうと推測される。
そして、1951年サンフランシスコ講和条約で表向き日本のGHQによる占拠は終了することとなり、今の日本が形作られる。
結局今も昔も米国による日本の統治の仕方は変わらないのだろう。
この参謀第2部のチャールズウィロビーはもともと米国のCIA設立に携わったメンバーであり、スパイ活動などを通じて裏から組織を動かしている。一般的にCIAの出先機関として知られる東京地検特捜部もこの時の経験が生きて誕生した。
東西冷戦が生んだ米国の戦略変更の結果、GHQでもクーデータ-が成功し反共の砦として日本復興がこのころから確約され(いわゆる逆コース)、対ドルで360円という特典が与えられた。(旧ソ連に対抗するために、日本に経済力をつけさせ、貿易立国を作り上げる政策)
その後、国内政治の安定のため、A級戦犯扱いとなっていた岸信介などの要人がサンフランシスコ平和条約を契機に政界に復権し、日米安保を経て、今の安倍政権に繋がっていく。(岸信介は安倍晋三の祖父)
折りしも、世界はまた過去の冷戦状態に戻りつつある(むしろ、今回の原油ショックで明らかに冷戦突入となっている)中で反共の砦として日本の経済復興が持ち上げられている。
加筆
ロシアへの風当たりの強さを見る限り、1990年までの冷戦構造が再び熱を帯びてきています。日本は地政学的に、中国とロシアをけん制するのに米国にとって非常に都合のよい存在だったことで、米国主導で経済力の向上が図られました。これは歴史が証明することです。そして、現在また当時と同じようなビッグチャンスが訪れています。
上記で紹介した逆コースの現代版です
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